「あけましておめでとう」をコンビニで聞いた。静かな年越しと、平日が戻ってきた安堵感

「ななころぐ」のアイキャッチ。ベージュの落ち着いたノート風の背景に、悲しげな表情のななころのイラスト。右側には「『あけましておめでとう』をコンビニで聞いた。静かな年越しと、平日が戻ってきた安堵感」という、世間の祝賀ムードに疲れたうつ病当事者の心に寄り添うメッセージが添えられています。
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1月11日。
カレンダーの日付を見て、ふと息をつく。

世間では3連休の真っ只中だけれど、街の空気はすっかり「日常」に戻っている。
門松は片付けられ、スーパーのBGMも琴の音色からいつもの音楽に変わった。

多くの人は「休みが終わって憂鬱だ」とか「仕事に行きたくない」と嘆いている。
でも、私は逆だ。

やっと、静かな平日が戻ってきた。
その事実に、心の底からホッとしている自分がいる。

今日は、そんな私の静かすぎる年越しの話を書いておこうと思う。

テレビのない自宅で迎えた「その瞬間」

私の家にはテレビがない。
だから、紅白歌合戦の華やかなステージも、ゆく年くる年の厳かな鐘の音も、ここには届かない。

世の中が「3、2、1…ハッピーニューイヤー!」とカウントダウンで盛り上がっているその瞬間、私は何をしていたか。

いつも通り薬を飲み、布団に入って寝ていた。

物理的には、驚くほど静かな夜だった。
車の音もせず、人の声も聞こえない。

けれど、心の中だけは妙にざわざわとして落ち着かなかった。

ななころ
ななころ
今ごろみんな、笑い合ってるのかな。
世界から自分だけが切り離されているような、不思議な孤独感。

SNSを開けば、タイムラインは新年の挨拶で溢れかえっている。
みんなが同じ方向を向いて、新しい年の幕開けを祝っている。
その巨大なエネルギーの波に、ただただ圧倒されて、画面をそっと伏せた。

「めでたい」という感情が、どこかに置き去りになったまま。
私の2026年は、そんなふうにひっそりと始まった。

誰からも届かない年賀状

元旦の朝、ポストを確認しに行く。
寒空の下、銀色の扉を開ける音だけが響く。

中身は、空っぽだった。
年賀状は一通もない。

当然だ。私の方からも送り返していないのだから。

ここ数年、年賀状じまいを加速させてきた。
「元気です」「今年もよろしく」という定型文を書くエネルギーすら、今の私には惜しい。
そうやって人間関係を整理(断捨離といってもいい)してきた結果が、この空っぽのポストだ。

スマホが鳴る。
届いた「あけおめ」のメッセージは、顔も知らない、本名も知らないネッ友からだった。

ななころ
ななころ
でも、それが一番嬉しかったりするんですよね。
お互いの病気のつらさを知っているからこその、控えめな「今年も生きようね」というメッセージ。

親族の集まりも、今年はなかった。
「行かなきゃいけないのかな」「なんて言い訳しようか」と悩む必要がない。
本来なら「寂しい」と思うべき状況なのかもしれないけれど、正直なところ「今年は誰にも気を遣わなくていいんだ」という安堵感の方が勝っていた。

コンビニ店員の「おめでとう」

三が日のどこかで、食料が尽きてコンビニへ行った。
おせち料理なんて立派なものはないから、おにぎりを買いに。

レジに商品を置くと、若い店員さんがバーコードを読み取りながら言った。

「あけましておめでとうございます」

マニュアル通りの、抑揚のない声。
私の顔なんてほとんど見ていない、機械的な挨拶。

でも、それが今年最初に聞いた、生身の人間からの「おめでとう」だった。

皮肉でもなんでもなく、その事務的な温かさが、今の私にはちょうどよかった。
過剰な期待も、重たい責任も乗っかっていない、ただの挨拶。

「……おめでとうございます」

マスクの下で小さくかすれた声で返事をして、店を出た。
冷たい冬の風が、少しだけ心地よく感じた。

冬の低空飛行は続く

無事に年末年始をやり過ごしたとはいえ、やっぱり体へのダメージはあるらしい。

年末あたりから、ぐっと気温が下がったせいか、冬季うつの傾向が強まっている。
日照時間が短いこの季節は、どうしても気分が塞ぎ込みがちだ。

生活リズムも、見事に崩れた。
夜明け近くまで眠れず、昼過ぎにのっそりと起き出す完全な夜型生活。
薬を飲む時間もズレてしまい、頭の中には常に薄い霧がかかっているような感覚がある。

ななころ
ななころ
まさに「低空飛行」です。
地面スレスレを、墜落しないように飛んでいるだけ。

世間は「仕事始め」だ「新年の抱負」だと走り出しているけれど、私のエンジンは壊れたまま。
ブログを書いたり、やりたいリストにあるけれど、今はまだ手を伸ばす気になれない。

でも、それでいいと思っている。

私たちは冬眠明けの熊のようなものだ。
急に走れば、転んでしまう。
今は温かいお茶でも飲んで、ぼんやりと窓の外を眺めているくらいが丁度いい。

日常というシェルター

1月11日。
今日からまた、淡々とした日々が本格的に始まる。

キラキラした新年の目標も、高らかな宣言もない。
あるのは、薬を飲んで、寝て、起きて、少しだけ悩み、また眠るという、変わり映えのない繰り返しだけ。

けれど、この「平坦な日常」こそが、刺激に弱い私にとって一番のシェルター(避難場所)なのだと思う。

「ハレの日」の眩しさに目が眩んでしまったけれど、ようやく慣れ親しんだ薄暗い部屋に戻ってきたような安心感。

崩れたリズムは、少しずつ直せばいい。
春まではまだ遠いし、寒さもこれからが本番だ。

だから、今は焦らず、無理せず。
今日一日を、墜落せずにやり過ごすことだけを目標に。

またここで、ボチボチとお話ししましょう。

※医療・健康に関する免責事項
この記事は、うつ病当事者である私の個人的な体験と感情を記録したものです。
医学的なアドバイスや、治療法の効果を保証するものではありません。
症状や治療方針については、必ず主治医にご相談ください。

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