2026年3月11日。
新しい病院に転院して、4回目の診察日。
診察室に入る前の1時間、私は「患者支援・相談窓口」の前に立っていました。
今日は体調の話ではなく、私の「生活」を誰かに預けてみる日です。
事前に主治医に許可を取り、予約を入れた相談室。
私の手には、昨夜PCと向き合い、深夜のコンビニで2部印刷した「相談整理シート」が握られていました。
「初回で、ここまで作ってくる方は……」
初めてお会いした医療ソーシャルワーカー(MSW)さんは、マスク越しでもわかる柔らかな笑顔を浮かべた女性でした。
どこか包容力のある、年配の女性。
私は挨拶もそこそこに、持参したA4のシートを差し出しました。

MSWさんは資料に目を通し、少し驚いたような顔をして私を見ました。

自分の中にある「仕事の癖」が、無意識にキーボードを叩かせ、相談資料を作らせた結果でした。
脱線したくない。
何を話すか忘れたくない。
この貴重な1時間を、大切に使いたかった。
そんな私の「必死さ」が、A4の紙から溢れ出していたのかもしれません。
繰り返される「べき思考」という言葉
悩みは尽きません。
ひきこもり状態の生活。収入ゼロの焦り。自立訓練事業所に行けなかった挫折感。
46歳という年齢を考えたとき、どこをゴールにすればいいのかさえ見失っていること。
一つひとつ、机の上に「私の困りごと」を並べていく作業。
彼女はそれを否定せず、ゆっくりと、けれど確かに拾い上げてくれました。
そして、面談の中で彼女が4〜5回、繰り返した言葉があります。

正直に言えば、私は戸惑いました。
約5年間の無職生活。かつての「バリバリ働かねばならない」という呪縛は、もうとうに捨てたつもりだったからです。
「私はもう、べき思考なんて卒業したはずなのに」
「今の私は、ただ効率的に相談を進めたかっただけなのに」
けれど、彼女の目には、完璧に整えられた私の「相談整理シート」そのものが、自分を縛りつける「真面目すぎる鎧」に見えたのかもしれません。
次につながる「宿題」
面談の最後、二つの宿題が出されました。
リモートで利用できる福祉サービスがないか探すこと。
障害年金の資料を取り寄せ、書けるところがあるか確認してみること。

すぐに同じMSWさんで次回の予約を取りました。
帰り道、診察券を握る手の力が、少しだけ抜けていることに気づきました。
主治医には「体調」を。相談員さんには「生活」を。
分担できる相手がいる。カルテを共有して見守ってくれる人がいる。
その仕組みが、バラバラになりそうだった私の心を、細い糸で繋ぎ止めてくれたような感覚。
帰宅後、私はまたPCを開き、2回目用の資料を作り始めています。
「やっぱり仕事の癖が抜けないな」と苦笑いしながら。
でも、これが今の私の歩き方。
「べき」ではない。
ただ、一歩ずつ。重い足取りのままでいいから。
確実に前進できているといいな、と、深夜のモニターを見つめながら思いました。
追伸:
帰り道、コンビニに寄ったら、昨日資料を印刷した時と同じマルチコピー機が目に入りました。
昨夜の心細さが、少しだけ「次への宿題」という希望に上書きされたような気がします。
今のメンタル予報:曇りのち、小さな光。



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